雅子さまのキャリア
皇室に入られて数年後に、精神疾患のような症状を患い始めた雅子さまは、宮内庁で、外務省時代のキャリアに対する軽視発言があったりしたことで、相当心を傷めたものと思われます。
元々、雅子さまはエリート中のエリートで、1985年、21歳の若さで、米ハーバード大学を卒業しています。
日本では東大に編入してそこも卒業、英オックスフォード大学にも留学をされていたということですから、並ならぬ知的水準を誇る人であることは、間違いありません。
そして、外国生活で培った国際性を生かし、1990年(26歳の時)に、外務省内にある部署・北米局に配属され、以後皇室に入るまで、外務省でキャリアを磨き続けていました。
その勉学、仕事に対するエネルギーの注ぎ方が桁外れに大きかったこともまた、誰もが想像できることだと思います。
雅子さまは、心から勉学を愛し、外務省での仕事にプライドを持ってこなしていたのだと思います。
しかし、1993年に、皇太子の妃になることが内定し、そこから雅子さまの人生は激変します。
元々、これだけの素質とエネルギーを持った人ですから、存分にエネルギーを発揮できる場所がなかったことで、ストレスが急激に蓄積されていったのだと思われます。
外務省と皇室は、別次元での生活に等しい、といえるに違いありません。
その中で、雅子さまが精神的に苦労され、体調を崩されることも、無理はないように思います。
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