雅子さまのストレス源
雅子さまが体調不良を理由に公務から退いたのは、2000年頃のことで、正式に適応障害の発表があったのは、2004年のことです。
では、何故これだけ発表が遅れたのでしょうか?
これは、精神科医に診てもらうまでに、実に4年もかかったことが大きな理由として挙げられます。
それまでは、宮内庁に従事する内科医が雅子さまの体調を診ていたのです。
雅子さま自身、精神的疲れを日々感じつつも、その原因がどこにあるのか、判断がつかないことが多かったに違いありません。
それはさておき、精神疾患の症状が出始めてから、本格的な精神療法を開始するまでに4年もかかり、その間に症状が悪化したのではないかと思われます。
では、雅子さまにはどのようなストレスがあったのでしょうか?
雅子さまは、結婚以来、皇室での役目を果たそうと必死に努力してきました。
しかし、皇太子殿下の会見によると、「雅子は国際親善大使としての役目を果たしたいと常々願っていたが、それをさせてもらえなかった」ということです。
つまり、「仕事=自己表現の場所」を宮内庁から奪われ、「仕事を充分にさせてもらえない」ことが、ストレス源になっていたようです。
仕事に生きてきた雅子さまが、仕事上でのモチベーションを奪われたことは、この上ない苦痛であったに違いありません。
こういう背景があり、適応障害という診断名が下されたのではないか、と専門家は見ています。
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